エンドピン誕生ストーリー

わたしは東京芸術大学の学生だった。
3年生のときだからもうかれこれ30年も昔のことだ。
その日わたしはいらいらしていた。
 実はもうすぐ本番があるので練習を詰めていたのだがラロのコンチェルトのある一つの音でどうしてもチェロが共振してしまうのだ。
その時わたしが使っていたエンドピンは、当時はやっていた10mmの鉄パイプのエンドピンで、やたらに長い。
だから楽器の中に残った部分が、ある音程で共振してしまうようだった。

 大学の構内にある、練習のために借りている木造の部屋でため息をついてからわたしはいつものように練習を始めた。
 しばらくぼんやりとスケールをさらっていたわたしの目に部屋の片隅に打ち捨てられている折りたたみの譜面台が映った。
それは半分壊れかけていた。
 「折りたたみ式の譜面台は壊れやすいものだ。」
しかし折りたたみ式とはいえその譜面台は、頑丈に作られていてその銀色の譜面台の上段は、無垢の(パイプでない)10mm径の鉄の棒だった。
 
 わたしは、はっとした。

「この部分をエンドピンにしたらどうだろう?」

 この思いつきはわたしを突き動かした。
「無垢の鉄棒なのだから共振はしないはずだし音は絶対によいはずだ。」
わたしは練習をそっちのけで家から金ノコとヤスリを持ってくるとそれをけずりにけずり、エンドピンに仕上げてしまった。
 わたしは大きな期待でわくわくとしながら急造のエンドピンを付けてみた。

 ??どうも響きがおかしい。

エンドピンの付け根におりがたまったように響きが濁る。
  あれっ!・・・

  ・・・・・・・

 「わかった、重すぎるんだ!」

がっかりするより、この違いに驚いたわたしはそれから目が覚めたようにエンドピンの研究をはじめた。
 エンドピン自体の素材の性質で楽器の響き方は違ってくるのだからと、まずわたしはさまざまな材質の材料を手に入れた。
真鍮、ジュラルミン、鉄、鉄のパイプ、ステンレス、チタン合金。
 
 わたしが予測した通り、固い程良く音が飛ぶという事がはっきりしてきた。

「もっと固い素材はないだろうか。」

欲というものはきりがない。

そのときわたしの頭に日本刀がひらめいた。

あの堅さ!!

そうだ、焼きを入れてみたらどうだろう。

 そこでわたしは東急ハンズで焼き入れ用の鉄棒を手に入れた。
そして庭にブロックを長方形の炉の形に並べ、その中でたき火をして鉄棒をその中に寝かせると、がんがん焼いていった。
何度位あるのだろう、恐ろしいくらいに熱い。
革手袋でつかもうとして、はっとした。
ばかな、一瞬で焼け焦げてしまう。
わたしは金梃を持ち出し、真っ赤になった鉄棒を取り上げると水にジュッと浸けた。
なにしろ素人だ、まっすぐに仕上がるのは5本に1本位だろうか、あとは無惨に曲がる。

しかし
「やった!!」
その1本を楽器に付けて弾いてみた時の感動....
それこそが「シングルアイ」の原点だ。

わたしはさらに研究し、ついにこの特殊ステンレスエンドピン『シングルアイ』に行き着きました。こんなにも音が変わることに驚嘆したものの製品化には思わず手間取り、モニターの方や楽器店の方には絶賛されてすぐ欲しいと言っていただいたにもかかわらず今日に至り、ようやく皆さんにご紹介する運びとなったのです。
 シングルアイを使うと透明感の高い音色が輝きと深さを伴って楽器の底まで響きます。
 そしてその音は長い余韻と共にパワフルにホールに放たれるのです!

『シングルアイ』誕生エピソードその2

ある日のことわたしは気に入っていたできの良いエンドピンをつけて演奏の仕事にでかけた。
いつも仕事で一緒になるG氏がいつもと違う私のチェロの音に気がついた。
私はエンドピンを作ったいきさつを話すと早速興味を持ってくれ、試したいという。
仕事の前だったがそれではということで替えてみた。
彼のはチタンのエンドピンだった。
「ン?、いいねこれ。」
交換しようよ僕のと。
「・・・・・」
彼は私のエンドピンを返してくれなかった。
「え?」
嬉しいような困ったような。
そんなことが何回かあり、これは自分以外の人のためにも何らかの方法で数を作った方がいいなと思うに至った。しかし自分で作る数には限度があるし手作りではロスも多く、その何らかの方法がなかなか見いだせなかった。工業化するにはまたその数というのがあまりに大きいのだ。まさか1万本単位では素人にはなかなか手が出せない。モニターの方や楽器店の方には絶賛されてすぐ欲しいと言っていただいたにもかかわらず今日に至り、ようやく皆さんにご紹介する運びとなったのです。

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